遺言、お葬式、お墓、保険、介護、相続…。
人生の「終い方」をご自身やご家族と考えることを、最近では「終活」と呼び地名度が飛躍的に高まっています。
そこには、人生の終い方は自分自身で決めたい、という親心があります。
「終活」は2009年8月~12月まで「週刊朝日」で連載された記事「現代終活事情」で生まれた造語。
コトバンク:終活本
終活についての情報は、今やネットに氾濫するように溢れており、大手企業などでもセミナー開催などを行っておられます。
最近では、終活アドバイザーという資格も登場しています。(終活アドバイザー協会)
それでは、なぜアドバイザーが必要なまでに、この「終活」がクローズアップされるようになってきたのでしょうか。
今回は、横浜ベスト遺品整理社として、終活での生前整理に携わっている観点から、当事者、家族にとっての向き合い方について少しお話をさせていただければと思います。
最愛の伴侶を無くして初めて終活を意識する
生前整理の現場で必ずと言っていいほど聞かれる声が「妻を亡くして、葬儀もひと段落してね」というようなお言葉です。
悲しみを乗り越え立ち上がるのは、どれほどのものだったろうかと、その心中をお察しするのです。
しかしながら、このような大事な方を無くされて、自分自身の終活を意識される方は非常に多くいらっしゃるようで、ほとんどの方がこのような言葉を口にされます。
それは、皆様が知る著名な方でも同じご様子です。
みのもんたさんの終活は「親の責任」。葬儀は身内だけの家族葬で
――終活を考えるようになったのはいつ頃からですか?
みの 5年前(2012年)に、女房に先立たれてからかなあ。独りになっちゃったし。誰が自分ことを見送ってくれるのかなって思うようになってね。そんなこんなで、諸先輩方も旅立っていくし。葬儀に行くと、僕も時間の問題だなあって考えるようになりますよね。
1987年10月の放送開始から、2009年3月までお昼の顔としてテレビの画面に立ち続けたみのもんたさん(74)。「終活は親の責任」として、自身の思いをお答えになっています。
やはり、残された子供や孫に対して、負担をかけたくないからこそ、親の責任として自分の人生の終い方を考えるというのは、もはや社会的には一般化しつつあるようです。自分の最期を自分に決める権利がある、とも言うべきかもしれません。
家族はどのように「終活をしたい」という気持ちに答えるべきか
「親の責任」としての「終活」を全うしたい。
そのような向きに、私たち家族はどのように向き合うべきなのでしょうか。
これはいうまでもない事ですが、終活を行いたい当事者の気持ちをできる限り尊重する事。これに尽きると私たちスタッフは考えています。
どうして「終活」をしようと思い立ったのか、その当事者の気持ちを家族が上手に汲み取れていないのではないかな、と言う場合もございます。そうしたとき、私たちスタッフは、当事者のお客様とご家族の皆様と密にコミュニケーションを取るようにしています。
打ち合わせを経る段階で、様々な情報や感情が出てきて、最終的には円満な形で終活が完了することも珍しいことではありません。
終活の目的を明確に意識することで、人生はより実りのあるものになります
私たち横浜ベスト遺品整理社では、終活セミナーなどに積極的に参加しております。
以下は、好評であった東京都高尾にあるショッピングモールでの活動の一コマです。
「入棺体験」なるものもあり、棺桶に実際に入ることによって、私自身とてもショックと言いましょうか。いますぐに死んでしまったら、どうしよう。と言う恐怖感を強く強く感じました。
人は、過去に戻ることもできなければ、未来に行くこともできません。
継続して流れる時間の中心である「今」このときを生きる私たちだからこそ、あえて自分の死を意識することによって、より良く、より自分らしく生活するための行為こそが終活にあると言っても良いでしょう。
今回の記事が終活を考える一助となっていただけることを祈っております。
最後までお読みいただきましてありがとうございました。